【上田文雄さんを偲ぶ】

 

2025年9月18日、前札幌市長で戦争させない市民の風北海道の初代共同代表だった上田文雄さんが逝去されました(享年77歳)。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

 本欄では故人に関する会員それぞれの思い出を順次掲載いたします。


上田さん ありがとうございました

 

上田文雄前市長のご逝去の報に接し、心から感謝とご冥福をお祈りいたします。

私が生活クラブ生協の理事に就任してから、40年近く活動をご一緒させていただきました。幌延問題道民懇談会では、高レベル放射性廃棄物の処分場に道北の幌延が候補にあがってから、ともに反対運動に取り組みました。岐阜県瑞浪の廃棄物処分研究所に、上田さんと視察にいきましたね。労組も反核道民の船を出して科学技術庁に幌延反対の要請にいきました。面会した当時の科学技術庁長官の田中真紀子議員に、幌延で生産された牛乳をお土産に持参しました。田中さんは「あなたたちの言いたいことわかるわよ!放射能と酪農は共存できない、いつまでもこの牛乳を飲み続けたいと言うんでしょ!」と。その通り!だから廃棄物のでる原発はやめて!

チェルノブイリ事故後は泊原発の反対に力を注ぎました。「泊原発の可否を問う住民投票条例制定の直接請求運動」では多くの労組・道民が全力を注ぎ90万筆の署名を集めましたが、道議会では2票差で否決されたのでした。あの時の涙から、市民が直接政治に参画していかねば社会は変わらない、と考えた私たちは91年からいくつもの自治体議会選挙にチャレンジすることに、、、市民自治、市民が政治を変えるんだという流れを作ったはじめでした。以後、上田さんは毎回の選挙で推薦人になってくださいました。

03年市長になられてからのご活躍は多くの方がご存じですから割愛しますが、NPOサポートセンター立ち上げにも大きな協力をいただきました。

市長退任後、国政では戦争する国への道を開く安保法制に反対の運動が大きなうねりとなっていましたが、強行採決されました。シールズの若者が叫んでいた「野党は共闘!」憲法を尊重し戦争を拒否するには野党が共闘し政治を転換するしかない、北海道でも野党共闘の受け皿を作ろうと上田さんと立ち上げたのが「戦争させない市民の風」でした。市長としての実績と憲法を何より大切に思う平和への強い意志に、政党も多くの市民も耳を傾けてくれました。16年の北海道五区衆議院補欠選挙では、互いに戦うことが予見されていた立憲政党同士が、協議の上候補者の一本化を実現させました。以後、「市民の風」は、立憲主義の回復、改憲反対、野党は共闘、を目標に10年活動してきました。22年ロシアのウクライナ侵攻に際しては、侵攻をやめるよう旧知のロシア領事に直接要請してくださったことも。上田さんだからこそできたこといえます。

「市民の風」は、混迷する現在の政治状況を前に試行錯誤が続いていますが、上田さんと共有した多くの時間を無駄にすることなく、上田さんが願った、平和な世界、誰もが人権を尊重されイキイキと暮らす社会、弱い立場の人々に寄り添った政治、、、に少しでも近づけるように奮闘する決意です。お別れは本当に残念ですが、少しゆっくりお休みしていただいてから、天国から私たちを見守り叱咤激励してくださることをお願いしてお礼のことばといたします。

(戦争させない市民の風・北海道 共同代表 山口たか)


私が上田さんと一緒に活動したのは2015年から2020年までの6年間くらいの間でした。私のパソコンには上田さんの写真データが何枚もありますが、私が撮影していますので、二人が一緒に写っているツーショット写真はこれくらいです。これは2019年の道知事選の時に、石川知裕さんの選挙応援のために全道各地を二人で駆け回っていた時の写真です。この頃は、フミオ&シゲオとか言って、二人でかけあい漫才みたいな対談の講演をよくやっていました。私の企画で、横路孝弘さんと上田文雄さんの二人を並べて、私が司会をして対談をしてもらったこともありました。いまは二人とも逝ってしまいましたが、本当に北海道のリベラルの二大巨頭だったと思います。今頃、あの世で、二人で「これからのリベラルはどうなるのかねぇ」なんて話し合っているかもしれませんね。(川原茂雄・元共同代表)


集会・デモは活動家がやるもの、と敬遠していた私も福島原発事故が起きてそれまでの物言わぬ国民であったことを反省。恐る恐る反原発集会に行ってみたところ、上田市長がスピーチされていて市のトップの人が…?!と集会への印象がガラッと変わりました。

 その数年後、5区補選野党共闘がスタートし千歳へポスティングへ行った時、集合場所に上田さんの姿が。配布エリア分担のミーティングの輪の中に当たり前のように立っていて、びっくりしました。

 市長の時もその後も、市民の立場でいられる事に感嘆しました。

 ご冥福をお祈りします。(事務局 一ノ宮麗子)


上田さんは芸術・文化に造詣が深かったことで有名です。2014年のパシフィック・ミュージック・フェスティバル(PMF)では、25周年を記念したイベント「250本のトランペット」(芸術の森野外ステージ)に、子供の頃から嗜んだトランペットを持って参加されました。私もこの時同じステージでご一緒できたことが一生の思い出となっています。

また、2017年5月に西区で「共謀罪反対集会」が行われた際には、「共謀罪の危険性を分かりやすく説明するため、寸劇をやってみたらどうか?」とアドバイスいただき、稽古を重ねて実行したところ大受けだったこともよい思い出です。この時は道下大樹さん、森つねとさんにも参加いただき、野党共闘の機運醸成にも一役買ったイベントとなりました。

(事務局 高橋大輔) 


反戦・平和をさまざまな表現手段で訴え続けた方でした。憲法9条の条文をそのまま歌詞にした楽曲など。本人の美声を聴くことができます。

<9条ロック>

https://www.youtube.com/watch?v=SZC1j5IpY2I&list=RDSZC1j5IpY2I&start_radio=1

<第九歌謡曲>

https://www.youtube.com/watch?v=C7oSi6uXsh8&list=RDSZC1j5IpY2I&index=4


もちろん5区補選以降の市民と野党の共同運動での果たした役割は大きいですが、私にとっては現役の市長時代に札幌市子どもの権利条例制定運動とその後の条例の理念の具体化としての認定フリースクール制度の創設が一番の思い出として残ります。

 当時、私は不登校生などが集まるフリースクールで働いており、在籍する子どもたちの不当な境遇、その親たちの経済的負担の大きさ、現場で働く人たちの安い賃金などを改善するためにも、条例制定運動の1人としてシンポの開催や大通公園での市議と一緒の街宣などに取り組んでいました。この運動は、ある意味で市民と野党の共同に近い超党派の市民運動・「権利条例を求める会」を結成にも繋がりました。

 条例制定までは、最初の段階で自民党のタカ派たちの激しい抵抗に遭い、「子どもの権利などと言って、子どもをわがままにさせる」「義務を果たしてこその権利だ」などなど、言い古されたウソを流布され、当時の市長与党と言ってよい民主、共産、市民ネットでは、議会過半数にわずかに届かず、1回はお流れになりました。

 その時、上田市長は公明党の説得に乗り出して成功し、結果名称を「子どもの最善の利益のための権利条例」と変え、条文も一部修正し(私にとっては、受け入れにくい、政治的妥協でしたが)、公明党が賛成に回り、賛成派が議会過半数を超え、自民党の強い反対を押し切り、ついに可決成立しました。

 制定後、その具体化として、公的財政支援が無いに等しかったフリースクールへの助成制度の創設を求め、フリースクールネットワークを通して、財政的裏付けを含む制度案の作成や現役の市長時代の上田さんに市長室で直接面会して要請するなどしました。

 これは、3期目の市長選での上田さんの公約の1つにもなり、ついに認定フリースクール制度が出来て、実際の財政支援が実施されたのです。正直言って、現場の当事者としては、あまりも少ない額であり、使途目的が限定され過ぎているという不満はありましたが、それまでは全くのゼロと言って良い状況でしたので、大きな大きな前進でした。

 認定フリースクール制度後・市長退任後には、自由学校・遊の講座で私と上田さんの2人の対談をさせていただきました。

 これらは、上田文雄さんが市長でなければ、絶対に実現しなかったと思います。

 心より天国の上田さんに感謝します。(会員 齋藤哲)


上田文雄弁護士が亡くなり、先日、お通夜に行きました。

わたしは道警ヤジ排除事件の時まで、社会運動に興味はあったものの、市民運動とのつながりは薄く、議会政治にも大きな興味がなかったので、元札幌市長で偉い人らしいということしか分かりませんでした。

ヤジ排除裁判を終えてつくづく、弁護団がどこの馬の骨とも分からない原告たちの弁護をやったことの重みを感じます。

もちろん、これは個人ではなく公共の利益のための裁判でしたが、それでも原告の人格はある訳で、弁護士は裁判がどれだけ長く続くか、その間、原告と付き合わなければいけないこともよく分かっていたはず(原告は裁判がどれだけ長く続くか全く見当がついていませんでしたが)。

 

200万都市の市長を10年以上やった人が、誰かの表現の自由が侵害されたことに、本気で怒って闘える、そんな場所で、自分が暮らしていたのだというのが、本当にすごいことだと思います。

その姿勢は、わたしが大事にしている人権そのもので、つまり、人権は、偉い人とか頭の良いとか優しい人にだけあるものではなく、人間だからある権利だということの体現ではないか……と思います。

(しかし道警や北海道に対しては、元札幌市長すらヤジ排除を問題にしている!ということは重く受け止められたのではないか思います。権威は使い所が大事)

 

道警ヤジ排除事件は、ほとんど降ってきた・巻き込まれただけで、わたしが原告の立場にいたことはほぼ偶然ですが、それでも、上田弁護士と一緒に表現の自由を求めて闘えたことは本当に素晴らしい経験だったと思います。

自分のことを、怒りの受容体は敏感でも、悲しみの受容体はかなり鈍感な方だと思っていたのですが、お通夜で、上田絵里弁護士のお話を聞きながら、もうお会いできないのかと思うと、悲しくて涙が出ました。

全然偉ぶらないし、いつも朗らかだけど、話す言葉に力のあった上田弁護士はもう札幌にいませんが、わたしもわたしのフィールドで頑張りたいと思います。

(道警ヤジ排除裁判元原告 桃井希生)


上田さんには釧路でも大変お世話になりました。

2019/3/1に道知事選挙に立候補された石川知裕さんを支援する釧路集会に上田文雄さんに参加いだきました。

お二人がお亡くなりになりとても残念です。

あらためて感謝の意を表するとともに心からご冥福をお祈りいたします。

ありがとうございました。(事務局 工藤和美)



2003年に上田市長が誕生した翌年2004年に、図書館問題研究会の全国大会が札幌で開催されました。

全国大会初日のシンポジウム「地方自治を支える図書館〜まちの未来を拓く」に

上田市長にご参加いただきました。

そのシンポジウムで、上田市長は「図書館は人類の英知の宝庫で、知る権利を充足させ、知識を得て、思想や知識の体系を身につけることによって一人ひとりが自分らしく生きることができる、自治の実践を支える、この知の体系をどうやって地域の人たちにとって利用しやすいものにしていくかが大事だ」と話されました。

そして、同年秋に図書館協議会を設置し、委員には図書館運動団体の代表や公募委員も登用されました。

また、中央図書館長は部長職ですが、それまでは定年退職間近な人を定年直前に部長にしてやろうというような人事が行われており、社会教育に携わったことのない、図書館については何も知らないような人が代々中央図書館長になっていました。

年度はちょっとあやふやですが、その後、司書資格を持ち地区図書館や中央図書館でずっと司書として働き、係長、課長を務めてきた職員が中央図書館長になりました。

中央図書館長の人事まで上田市長が采配したかどうかはわかりませんが、上田市長の図書館に対する見識を受けての人事だったと思います。

さらに資料のインターネット予約が始まり、貸出返却だけですが、大通り駅構内に

中央図書館カウンターが設置され、利便性が一気に高まりました。

このカウンターは非常によく利用され、夕方にはしばしば行列ができています。

計画はありながら、しばらく停滞していた都心部の図書館、図書・情報館の開設も具体的に進み、開館は上田市長退任後の2017年になりましたが、北1西1にできました。

板垣市政時代に1区1館が実現した後、見るべき変化がなかった図書館行政が

上田市長によって大きく前進したと言えます。

(会員 細谷洋子)


上田前市長の死を心からお悔やみします。福島原発事故後、汚染ゴミを引き取るという話があった時に、自民党から共産党まで、札幌市議会で多くの人が引き取るべきだということで、私が院長をしていた時に院長室に上田市長が困り果てた顔で訪ねて来ました。私は汚染ゴミを引き取った九州での空間線量変化に関するデータ資料を渡し、引き取るべきではないと忠告しました。北九州市の国会議員が事故後いち早くゴミを引き取り、汚染したゴミを焼却処分していたので、福岡県の空間線量は上がっています。しかし福岡県を取り巻く3県は西日本の標準的な線量です。ダイオキシン対策としてゴミは800度で燃やしているので、気化温度が678℃のCs-137は気化してバグフィルターをとおして大気中に放出されるので、こうした現象が起こるのです。上田さんはこのデータを市会議員たちに示し、札幌市は汚染ゴミを引き受けないことななりました。

 

上田市長は弁護士となった時に日本で最初に稼働した福島原発の反対運動があり、その時に福島で研修し、また幌加内の核ゴミ問題にも絡んでいたので、放射線被曝の問題には詳しかったようです。こんなまともな政治家が少なくなり、日本の未来は暗いですね。

(北海道がんセンター名誉院長 西尾正道)


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    レターケースNO.26

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