◇  識者提言

【アンダーコロナの状態】



【環境破壊/多国籍企業と新自由主義】

【闘っている相手は現代社会】


【国家の役割/コロナが示唆】

【最悪を想定しない国民性】



【消費税減税】

【行動促す仕掛けの共有】

【安全と地方への回帰】



【地域循環型社会を】

【人間らしさで連帯を】



【コロナと戦争と総括】

【行政のあり方の見直し】

【生きる意味 どこに】



【緊急事態宣言、強制の懸念も】

【緊急事態宣言と私権の制限】

【何が正解かわからないまま…】



【自粛に従う/同調圧力が強い】

【地球は人間のためにつくられたわけではない】



【海外依存からの撤退を】

【大国横暴時代は終わり】



◇松崎道幸(道北勤医協 旭川北医院)からです。

 

コロナ後の世界のイメージが最近提出されています。

私が考えたところは:

もはやコロナ前の世界には戻れません。今まで当たり前とされたことが、通用しない世界に入り込んでしまいました。

1.新興感染症は、過去30年間に30種発生しました。これからも毎年新たな病原体のチャレンジに人類は直面するでしょう。

2.マスクやワクチンがないことよりも、食べ物がないことの方が、人類の生存に決定的な影響を与えるでしょう。

3.新興感染症が発生するたびに、食料やエネルギー源などのグローバルな物の移動は大きな制限を受けるでしょう。

4.食料の自給自足、エネルギーの自給自足をメインテーマにした社会構造の見直しがなければ、この国の将来は暗いでしょう。

 

ということで、とりあえず、食料の地産地消を追求することが、コロナパンデミックで示唆された人類の持続的生存のカギとなるでしょう、

 以上を共通の問題意識として共有できればと思います。

 

内容:l  COVID-19パンデミックと農業:地域自給ファーストが必要だl  新型コロナ研究週報:5月第2

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小林です (2020/6/17)

朝日新聞レジタルのコロナ後の世界を語る 現代の知性たちの視線を紹介します。
https://www.asahi.com/special/coronavirus/after-corona/?iref=pc_rensai_article_long_485_below_bn

各地で猛威をふるう新型コロナウイルス。瞬く間に多くの命が失われ、感染への恐怖が広がる中、これまでの日
常が奪われた。大きく変容する世界を、現代の知性はどう捉えているのか。

小林です(2020/5/19)

 

明星学園中学校非常勤講師の小寺隆幸さんの論説をご紹介します
パンデミックの危機の最中だからこそ、今、軍事を問う
http://www.jicl.jp/hitokoto/index.html

以下の内容です
《従来の考えを捨てて予算を見直そう》
《専守防衛から逸脱する兵器の購入費を、いのちを守るために使おう》
《ウイルスと共生する世界では対立ではなく団結を》
《自国中心主義が広がる世界で日本は国際連帯の道を》
《中国に対する軍事的抑止力としての「日米同盟」》
《人間性を安全保障の中核にすえよう》
《大学の使命は軍事研究ではなくパンデミック後の世界を考えることにある》



 

新型コロナで露呈した日本政治の古い「家族」観 

森山至貴・早大准教授に聞く  毎日新聞2020721200(最終更新 721439)

 

 家族、家族、家族……。聞くたび、なぜかモヤモヤした。“アベノマスク”の配布は全世帯2枚。10万円の給付金は世帯主に。家族以外の多人数での会食は自粛し、ステイホーム! 新型コロナウイルス対策はなぜこんなにも、「個人」ではなく「家族」単位だったのか。モヤモヤする理由を突き止めたくて、『LGBTを読みとく』の著者で、性の多様性をめぐるさまざまな問題を研究している森山至貴・早稲田大学文学学術院准教授に会いに行った。【オピニオングループ/小国綾子】

 

アベノマスク、なぜ全戸配布?

―政府の新型コロナウイルス対策は「家族」単位が目立ちました。なぜ個人でなく家族なんだろう、とモヤモヤしてしまう。

◆コロナ対策と「家族」をめぐるモヤモヤは、確かに感じますね。特に、今回の政府の対策を見ていて、多様な家族のあり方への想像力が政治に欠けているなあ、と感じました。それをよく示しているのは、例えば、布マスクの配布方法です。

 一般的には「全世帯に2枚ずつ配布」と言われていますが、実際には「全戸に2枚配布」だった。つまり一つの住所に2枚です。

 でも、これでは2世帯住宅に暮らす人、1人暮らし、ルームシェアしている人などさまざまな家族のかたちに対応しきれません。

 実際、同居する同性パートナーの場合も、届くのは2枚だけ。同性婚もできず、多様なパートナーシップのあり方が「家族」と認められないこの社会で、こんな時だけはほぼ「世帯」のような扱いですからね。

 

透けて見える古い家族観

―布マスクって、「1家族につき2枚」と思っていました。

◆「全戸配布」がいつの間にか「全世帯配布」のようにすり替えられ、説明されていたからでしょう。

 今回のコロナ対策では、「家族」「世帯」「戸(住所)」などの言葉があいまいなまま繰り返し使われてきました。そこから見えてくるのは、政権の古い家族観です。

 もちろん中には「全戸配布は平等なやり方。みな同じ扱いなんだからいいじゃないか」という人もいるでしょうし、夫婦と子ども2人のところにマスクが2枚届いても「1家族に2枚と決まっているから仕方ないね」と気にしない人もいるでしょう。

 しかし、本来、マスクは一人一人がつけるもの。個人単位で配布されるべきです。家族単位にすれば効率良く配布できる、という政策設計の思想自体が問題ではないでしょうか。

 

まるでイエ制度のような……

―10万円の「特別定額給付金」を世帯主に、というのにもモヤモヤしました

◆今の日本社会では、世帯主は圧倒的に男性です。まるでイエ制度をほうふつとさせるような保守的な家族観に根ざした政策だと感じました。

 世帯主からドメスティックバイオレンス(DV)を受けている家族などは別途申請すれば個別に受給できるようになりましたが、これも本来、個人単位で給付すべきでしょう。

 もっとも「世帯主への給付」というのは、今回急に出てきたやり方ではありません。過去の給付や社会保障の方法を踏襲しているのです。

 

―つまり、「家族」や「世帯」ベース、というのはコロナ以前も同じだったんですね。昔は世帯ベースでも問題がなかったけれど、家族のあり方が多様化したため、それではうまく機能しなくなってきたのでしょうか。

◆いいえ。昔も、いわゆる普通の「家族」からこぼれおちる人たちはいっぱいいたのに、見過ごされてきたのだと思います。

 

普通の「家族」だって大変

―今回のコロナ対策では「家族」の負担が増えました。「ステイホーム」「おうちにいよう」と外出制限が叫ばれ、子どもは長期休校となり、大人はリモートワークが推奨されました。特に、子育て中の家庭は大変だったと思います。

◆実は数週間前に、古い友人から久しぶりにメールをもらいました。<我が家は今の政治が想定するところの典型的な『家族』だと思うけど、それでもコロナ禍で大変だった>と。夫婦ともに法曹関係の仕事をしていて、お金に困っているわけではない。

 しかしそれでも、就学前の子ども2人とともに暮らす中で、子育てと仕事の両立が立ちゆかなくなる瞬間は何度もあったそうです。

 日本では、保育や介護などケア労働のかなりの部分を家族が担っています。今回のコロナ禍で、いわゆる普通の「家族」であっても、ぎりぎりの状況にあることが顕在化したのではないでしょうか。

両親が感染したら子ども誰が?

―確かに。学校が全国一斉休校となった時、保育園や学童保育が休みになったら働けない、という悲鳴が全国で上がりました。

◆それだけではありません。感染が疑われた場合も、家庭での無限大のケアが前提となっています。両親が感染した時に、誰が子どものケアをするのか、介護の必要な高齢者がいた場合どうするのか、というような問題がいまだに解決していません。

 実際、フリーの女性アナウンサーが、夫に続いて自分も陽性と分かった時、陰性である子どもの世話をする人がいないから、と「自宅隔離」になりました。大変だったと思います。本来、リソースがたくさんあるなら、公的機関が担うべき部分まで、家族が担わされているのです。

 

―そういえば、検査で陽性が判明する前に病状が急に悪化し、お亡くなりになった単身赴任の男性がおられました。1人暮らしの人の命は救えないのか、とショックでした。

◆保健所や医療機関の職員が今の何十倍もいれば、事態は違ったかもしれません。圧倒的にマンパワーが足りないのです。第2波に備え、そこをどうしていくのか。今のように、家族の無限大のケアを前提にするのには、限界があります。

 子育てにしろ、介護にしろ、ケア労働に対する公的サポートが乏しく、家族に過重に押しつけられてきた平時のゆがみが、今回のコロナ禍で浮き彫りになっているのです。

 

スーパーマーケットの外に父子がずらり

―リモートワークや子どもの一斉休校で家事量が増大し、それが女性に集中したことも問題になりました。

◆緊急事態宣言下の東京で、象徴的な光景を見ました。スーパーマーケットでの買い物が「3密」になるから、「買い物は家族ではなく1人で」という呼びかけが行われた時のことです。店内で買い物を済ませた母親が出てくるのを待つ父子が、店の外の歩道に横一列に並んでいたのです。

 これまで「家族ですべてやれ」とばかりに家族単位で進められてきた新型コロナウイルス対策が、転換した瞬間だったと思います。「家族をめぐる政策がまた一つ、曲がり角を曲がった」と感じました。

 

―「家族以外とは一緒にいるな」が、「家族とも一緒にいるな」と変わったわけですもんね。

◆一斉休校やリモートワークで家族全員が家にいることになった自粛期間中、「家族でスーパーマーケットに買い物に行く」のは多くの家族にとって最低限許される気分転換でした。それが「3密」になるから、「店に入るのは1人だけに」といわれたわけですからね。

 もう一つ、どの家族も「お母さん」だけがスーパーマーケットに入り、父親と子どもが外で待っていたのにも、ぎょっとしました。

 つまり、「お父さん」は1人でスーパーに行っても「お母さん」ほどには、ちゃんと買い物できない、ということでしょう? 普段の家事へのコミットメントの実態が垣間見えた気がしました。

 

家族の間の格差、浮き彫りに

―「ポスト・コロナ」の家族は、どうなっていくのでしょう。コロナ禍が浮き彫りにした家族観の貧しさや、過重な負担が強いられた家族の問

題は解決していくのでしょうか。

◆どうでしょうね。このままだと「コロナ禍を家族の絆で乗り切った」などと総括されかねない気もします。

 確かにそれぞれの家族は頑張ったはずですし、家族で支え合った結果、踏ん張れた部分もあると思います。でも、それぞれの家族の努力がいいように使われるだけで終わっていいのでしょうか。

 

―どういうことですか。

◆コロナ禍による休校やリモートワークで、家族の時間は増えました。それ自体は大事なことです。男性の家事や育児への参加が進んだのなら、それも良いことです。しかし、「ステイホーム」にうまく適応し、幸せな家族の時間を享受できたのは、コロナ禍でもそれほど収入の減らない、比較的恵まれた家庭だけだったのではないでしょうか。

 

―確かに、コロナ禍で、家族間の格差が際立って見えたように感じました。

◆ええ。実際には休業要請や雇い止めなどで大きく収入の減った家庭、保育園の休園で働くことが困難になったシングルマザーなどの存在がありました。

 ケア労働を家族に押しつけることで回してきたこの社会設計は、すでに限界に来ているのです。社会保障制度のひずみに多くの人が気付いたのが、今回のコロナ禍だったと思います。

 

ニューノーマルって?

―実は私、もう一つ、モヤモヤしていることがあって。それは「ニューノーマル」という言葉です。日本語だと「新しい生活様式」なのでしょうが。でも「ノーマル(normal)」って慎重に使いたいじゃないですか。「社会規範(norm)」という言葉を連想させるし……。ノーマル=普通、アブノーマル=普通じゃない、みたいな言葉って差別につながりやすい気がします。

◆「普通」という言葉の持つ暴力性、ですね

 

―森山さんのお話を聞いていて、段々と見えてきました。私がコロナ禍で「家族」についてモヤモヤしたのは、「家族」が負担を背負わされ過ぎているとか、「家族」間の格差が拡大している、ということもありますが、感染拡大予防の名のもとに、固定的な「普通の家族」のイメージを押しつける空気が広がっているように感じたからなのかも。「普通の家族」ってそんなにエライの?って。

 森山さん、そう感じませんか。

◆今回のコロナ禍で、ですか?

 いや、僕はこれまでもずっと、そういう違和感を抱きながら研究を続けてきた身なので、むしろ「ああ、また『家族』か」とうんざりしました。

 

―ああ、なるほど。私はコロナ禍でそれに気付いた。つまり以前は、それに対して鈍感だったのですね。今回、「家族となら外食していい」「散歩は家族としよう」などと上から言われる感じが嫌でした。世間が認める「家族」とそれ以外が、切り分けられる感じ。ようやく多様な家族のあり方を認める方向に進んできた社会が、逆行しそうな気がしたんです。

 

「夜の街」という言葉の差別性

◆僕は最近、感染拡大について語る時に政治家たちの使う「夜の街」という言葉がとても気になっています。緊急事態宣言が解除され、「東京アラート」も解除された今、いわゆる健康で理想的な「普通の家族」と対立するような存在として、「夜の街」という言葉が使われてはいないでしょうか。

 

―ふわっとした言葉ですが、「私たちのいる『普通』とは違う世界」のような排他的な響きがあります。

◆ええ。何か差別的なニュアンスを感じますよね。

 いわゆる「普通の健全な家族」から外れているように見える相手への差別や排外意識が、「非常時なんだから」「感染拡大予防のために」という大義名分を得て、コロナ禍でますます広がっていかないのか、とても心配です。

 

少数派のニーズは後回し

◆阪神大震災や東日本大震災の時に、男性が仕切っていた避難所で「生理用品なんて」と支給が後回しにされたことがあったでしょう?

 

―今でいえば「不要不急だ」と言われたようなものですね。生理用品って、本当は必需品なのに。

◆「今はそれどころじゃない」「非常時なんだから」という空気が広がった時、社会の少数派や弱者のニーズは軽んじられやすいのです。多数派のニーズが優先され、少数派や弱者のニーズは後回しにされてしまう。過去にも何度もそういうことがありました。

 今回もそうではないでしょうか。新型コロナウイルスは誰にでも降りかかる。しかし、「家族」を単位にした政策では、政府の想定するいわゆる「普通の家族」だけが対象となってしまう。そこからこぼれ落ちる人たちも、コロナで同じように不安を抱え、助けを必要としているのに……。 この点に無自覚なまま政策が進んでいくことは、とても恐ろしいことだと思います。モヤモヤした時は……

 

―私の「モヤモヤ」の理由がだいぶ見えてきました。モヤモヤしたまま、要領を得ない取材ですみません。

◆いいえ、そういう時は、「ただのモヤモヤ」で片付けなくてよいと僕は思います。僕は社会運動について勉強してきたからでしょうか、モヤモヤはきちんと怒りに昇華させるべきだと思うんですよね。

 

―怒りに昇華、ですか?

◆モヤモヤする時って、自分にとって大事な何かが踏みにじられているんだけど、それが巧妙すぎて切り返す糸口が見つからない時ですよね。こういうとき、まず大事なのは「それっておかしい!」と思う自分の感情を認めてあげることではないでしょうか。

 そのためには、怒るのが一番。だから僕の場合、モヤモヤを感じたら、ちゃんと怒って、それを文章にする、あるいは口に出してみる。今回のコロナ禍でもそうしています。

 

―社会をより良くしていきたいなら、むしろ、怒ろう、と。

◆ええ。怒ってしまえば、同じことにモヤモヤしてくれる人に「私はここにいるよ」と伝えてつながっていくこともできますし、そのなかで、「どうしてこんなおかしなことになってしまっているのか」の理由が見えてくることもあります。怒りの共有はお互いへのエンパワーメントなんですよね。そこまで行けば、これはもう十分な「昇華」と言ってよいのではないでしょうか。大学教員としても、モヤモヤを感じている学生に、適切なタイミングで「怒っていいんだよ」と言ってあげられる自分でありたいな、といつも思っています。

 

もりやま・のりたか --------------------------------

 社会学者の森山至貴さん=東京都千代田区で6月15日、梅村直承撮影

 1982年生まれ。社会学者。東大大学院総合文化研究科助教を経て現職。著書は『「ゲイコミュニテイ』の社会学」『LGBTを読みとく クィア・スタディーズ入門』など。合唱曲の作曲家としても活躍中。2011年、『混声合唱とピアノのための さよなら、ロレンス』で第22回朝日作曲賞受賞。 


小林です (2020/5/4)
アジア女性資料センターが配信している
http://jp.ajwrc.org/3886
「今必要なのはウイルスとの「戦争」ではない」と題したシンシア・エンロー氏のレポートをお送りします。

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今必要なのはウイルスとの「戦争」ではない.pdf
PDFファイル 316.5 KB

 ◇  自治体/道


 ◇  政 界


 ◇  政 党

【立憲民主党】(共同会派で合同対策本部)

・新型コロナウィルス 命と暮らしを守るための政策 HP



【国民民主党】(共同会派で合同対策本部)

・新型コロナウイルスの感染収束に向けて 国民民主党のこれまでの提案 Web



【日本共産党】

・新型コロナ対策に関する緊急申し入れ(2020/7/28) 文書

・医療・検査の抜本強化、くらしと営業を守り抜くために――感染抑止と経済・社会活動の再開を一体にすすめるための提言(2020/6/4) 文書

・パンデミックの収束へ 国際社会の連帯と協力を(2020/5/21) 文書

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【社会民主党】(共同会派で合同対策本部)

・新型コロナウイルス/補正予算を含め取り組むべき対策について(会派緊急提言 2020/4/2) Web




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